News 2026.02.21
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新書『加耶/任那─古代朝鮮に倭の拠点はあったのか』( 仁藤敦史)

新書『加耶/任那─古代朝鮮に倭の拠点はあったのか』( 仁藤敦史)

【古代の国境に思いを馳せる】

朝鮮半島にその昔、高句麗・百済・新羅の三カ国があったことは中学校だったか、高校で習ったが、加耶という国というか、地域もあったというのは本書で初めて知った。日本(当時の倭)ではそこを任那と呼んでいたようだ。

私が本書を手に取ったのは、副題「古代朝鮮に倭の拠点はあったのか」が気になったからである。私はかねて歴史を語るときに、現在の国境で考えてはいけないと自らを戒めている。古代となれば当然、朝鮮半島に倭の拠点があったとしても不思議ではないだろうと考えたのである。

そもそも、国境という概念はいつ頃に確立したのだろうか。測量技術のなかった時代にそんなものがあったとは思えない。仮にあったとしても、明確な線が引かれていたとは考えにくいから、その境界は幅のあるグラデーションだったのではないか。あの山の向こうが隣国で、こっちが我が国だ、みたいにひどく曖昧なものだったような気がする。

だとすれば、その曖昧な境界を一方が他方を蚕食するようなこともしばしばあっただろう。古代において対馬海峡の向こうが他国で、こっちが倭という認識も蚕食の結果、朝鮮半島に倭の拠点が出来てもおかしくない。

従来はその拠点が加耶/任那だったという説が絶対視されていたようだが、残念ながら本書ではその辺の明言を避けている。拠点と言っても少なくとも直轄領土や植民地的な位置づけではなかったのではないかと言うのである。

だが当時、百済や新羅から倭への朝貢が断続的ながらもあったというのは驚きだ。だと言うからには、朝鮮半島でそれなりの影響力があったということのように思える。事実、倭の兵が百済や新羅の要請を受けて朝鮮半島で戦ったようだ。

と、ここまで考えたときに、では当時の中国と日本の関係はどうだったのかとの疑問を持った。そもそも倭というのは、冊封体制における中国側からの呼称である。これも昔習った「漢委奴国王」の金印にある通り、後漢の皇帝から「倭(日本)の奴の国王を認める」という意味なのだから、当時の日本は中国に隷属していたということではないのか。

いやいや、従属と言うべきで隷属ではないという声が聞こえてきそうだが、それって本当? そもそもどうして、従うような関係になったのか。あまり考えたくない歴史ではあるなと思った次第。

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