新書『信長はなぜ葬られたのか』(安部龍太郎)

【戦国時代は高度経済成長期】
「以後よく伝わるキリスト教」と中学時代に憶えたように、キリスト教がフランシスコ・ザビエルによって日本の鹿児島にもたらされたのは1549年のことである。ずっと単なる語呂合わせだと思っていたが、この本を読むと実際に当時の日本では急速にキリシタンが増えたようである。そして、そのことが日本の歴史に大きな影響を与えたらしいのだ。
本書は始めトンデモ本かと思った。本能寺の変の実行犯はたしかに明智光秀だが、黒幕は公家側に居たなどと陰謀論めいたことを「はじめに」で言うからである。しかし、読み進めるにつれ、相応の説得力があることがわかってくる。
というのは例えば、冒頭に上げたキリスト教の伝来が日本社会にとって大きな転換点になったというのは今まであまり意識していなかったことだが、その後に続く戦国時代が実は高度な経済成長を遂げたということと密接に結びついているという指摘である。
日本の中世は定常社会で、ながらく経済成長がなかったと聞く。それが末期になってキリスト教が伝来するとともに南蛮貿易が盛んになり、空前の経済成長をもたらしたと言うのだ。
それまで日本古来の神仏を崇め奉っても何も良いことがなかった当時の人たちにとって、キリスト教の教えに従えば(本当は南蛮貿易の恩恵にもかかわらず)途端に暮らし向きを良くしてくれると思ったことだろう。キリシタンが急増してもおかしくない。むろん大名も例外ではないし、むしろ直接的な恩恵のあった大名の方がその力を盲信したのかもしれない。
本書の指摘を信じれば、本能寺の変は公家の近衛前久、ひいては将軍・足利義昭が首謀したらしいが、信長がスペイン・イエズス会との関係を悪化させたことが遠因でもあるようだ。黒田官兵衛などのキリシタン大名のゴッドファーザ―的な存在が、前久らの信長討伐の企てを事前に知り、豊臣秀吉の中国大返しを可能にせしめたというのである。秀吉に天下を取らせることがキリシタンを利するとみたからだ。
もちろん著者が提唱する一つの仮説に過ぎないが、本書の副題に「世界史の中の本能寺の変」とあるように大航海時代の中の出来事として見る必要はあるだろう。
そう考えると、よく語呂合わせによって年号を憶えることに意味がないと指摘する人いるけれど、私は結構役に立っているように思う。日本史を世界史と結び付けて理解するうえで、たとえば世界史のあの出来事は「ああ、『僧を無くし(794年)た平安京』より前のことなのだな」とか、「日本では『いい国(1192年)つくる鎌倉幕府』の頃の話か。ということは…」などとベンチマーク的な役割を果たしてくれるからである(最近の知見では鎌倉幕府の創設は1185年らしいが、それこそ些末な話である。大きな流れが掴めれば良いのだ)。