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新書『ハプスブルク家』(江村洋)

新書『ハプスブルク家』(江村洋)

【ハプスブルク家のお勉強(その2)】

「他国は戦わせよ、汝幸いなるハプスブルク家よ、結婚せよ」が、このヨーロッパを代表する名家を象徴する言葉なのだそうだ。だが、「政略結婚」という言葉もあるように、婚姻を勢力拡大または安泰のためのストラテジーとして使うのは、決してハプスブルク家の専売特許ではないだろう。

日本の戦国時代を見ても、そうした例は枚挙にいとまがない。たとえば、織田信長が長女・徳姫を徳川家康の長男・松平信康に嫁がせ、互いの領地の背後(東と西)を脅かされないようにした「清洲同盟」や、武田信玄、北条氏康、今川義元が互いの娘を三つ巴で嫁がせ合い、三角関係の強固な同盟を作ろうとした「甲相駿三国同盟」が有名である。

しかし、それら日本の例とハプスブルク家の婚姻は根本的に異なる。日本の政略結婚は、軍事上の同盟関係を結ぶための人質として娘を差し出したのに対し、ハプスブルク家のそれは戦わずして婚姻相手の領地を手に入れるためのものであった。

なぜ、そんなことが出来たのか──。それは、ヨーロッパ(というか、日本以外のほとんどの国)では結婚という概念が本邦と異なるからである。彼の地では、結婚してもどちらか一方が他方の家に入るという考え方をしないのだそうだ。最近は我が国でも相手の家に入るという考え方は希薄になっているが、それでも戸籍上は未だにそういう形をとる。これに対し、ヨーロッパをはじめとして多くの国では、婚姻は新しい核家族が一つ増えるという考え方である。

一方で、嫁の所有する(あるいは将来相続する)領地は、夫が共同統治権を取得でき、婿の所有する領地は万が一、男子が途絶した場合には妻がその所有権を取得できる。

これは現代的な感覚で言えば、当たり前のような気もするが、日本に限らず当時のヨーロッパにおいても、領地は戦いに勝って取得するのが常識だったから、瞠目に値したことだろう。

この結果、ハプスブルク家は「結婚だけで一度も戦わずにヨーロッパの半分を手に入れる」ことができたのである。

しかし、その革新性で650年近くの間、隆盛を誇った同家も19世紀後半には風前の灯火となる。旧き慣習に基づく同家最後の君主フランツ・ヨーゼフは電話、自動車、汽車などの新時代の文明の利器を拒絶し、王宮でも電気設備を用いず、燭台で生活したと言う。

環境の変化に順応できない者が滅びるのは必定であったように思う。

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