新書「生成AIで世界はこう変わる」(今井翔太)

【誰もが平均点を目指すのが正解だろうか】
ネットフリックスの売りはオリジナル作品の多さだと言うが、そのオリジナル作品がつまらない。いや、つまらないというのは言い過ぎで、むしろそれなりに面白いと言うべきだ。しかし、どれもどこかで観たような内容で新味がないから、二日もすると忘れてしまう。ましてや、もう一度観たいとはとても思えない──そんな映画ばかりなのだ(もちろん中には好いのもある)。
同社のオリジナル作品の製作にはAIが関与して、どんなコンテンツやキャスティングだと視聴率が高いのか、どういう結末にすれば離脱率が低いのか等を、すべてAIが莫大なデータの中から分析していると聞く。本当かどうか分からないが、そうであってもおかしくないように思う。
過日の新聞でAIへの造詣が深いとされる英オックスフォード大の某教授が「音楽生成AIの作った楽曲は悪くないが、繰り返し聞きたくなる質ではない。これは機械が私たちが作れる最も優れた部分を大量のデータの中から拾い上げられず、平均の質に向かってしまうことを意味する」と述べていた。つまり、AIは中ヒット曲なら作れても、大ヒット曲は書けないのだ。映画も同じだろう。
本書では、「創造性」には①組み合わせ的創造性 ②探索的創造性 ③革新的創造性 の3種類があって、AIが得意なのは①と②で、③は少なくとも現在のAIにはできないとしている。例えが適切か分からないが、ピカソやビートルズみたいに、それまでの常識を覆すような創造はできないということだろう。
ところで、最近はビジネスシーンでもAIをどれだけ駆使するかで、その成果が大きく異なるのだという。たとえば、長文のメールや分厚い報告書をAIに要約させれば、たしかに業務は大幅に効率化されるに違いない。
しかし、それで良いのだろうか──。AIの生成した要約は本当に正解なのか(当たり障りのない平均点に過ぎないのでは?)。その長文メールを送って来た人の性格や言語化されていないメールの背景を知っている私が要約すれば少なからず違ったものになるはずだ。私独自の視点──いわゆる「目のつけどころ」には自信がある。
そんな私のような、ビジネススキルが高いと自惚れている者に対し、著者は興味深いことを言っている。生成AIシステムを導入したカスタマーサポートの事例を基に「当初は自分のスキルへの自信ゆえにAIの出力を拒否するものの、最終的には生成AIの提案の質や価値を認めるようになる」のだと。
つまり、効率化という名のもとで平均化されていくのだろう。たしかに、企業としては滅多に出ない大ヒットを期待するよりも、こけずに中ヒットを連発する方が良いに決まっている。そうした視点で評価されれば、誰もがひたすら中ヒットを目指すようになる。
ちなみに、ネットフリックスのCEOは「AIが人間のクリエイターに取って代わることはない」と言ったそうだが、ネットフリックス・オリジナルの作品群を観るととても本心とは思えない…。