News 2025.03.31
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新書「人新世の「資本論」」(斎藤幸平)

新書「人新世の「資本論」」(斎藤幸平)

【我々は欲望の虜であること】

新書にしては分厚い本である。しかし、380頁ほどのうちの300頁あまりは現在の行き過ぎた資本主義への批判であり、全編を通して唱えられるのはカール・マルクス賛歌である。

だが、成長を前提とした現行の資本主義に限界が来ていることは、マルクスを持ち出して、こんなに多くの頁を割くまでもない。既に多くの人が肌で感じていることだと思う。仮に著者が言うように脱成長・脱資本主義が唯一のソリューションだとしたら、それをどうやって成し遂げるのかを知りたいのである。だが、それについては残念ながら実に薄っぺらい内容となっている。

そもそも著者の言う脱成長・脱資本主義の社会とは一体どんな社会なのかが見えない。崩壊した旧ソ連の社会主義ではないと言うし、すべてを社会で共同管理・運営する「コモン」だと言うのだが、そこでの人々の暮らしはどうなるのか、その具体像がさっぱり分からないのだ。

たとえば、コモンはすべてを共同管理すると言うのだから、生産手段も共有なら、それによって得た収益も共有するのだろう(そうでなければ所謂「共有地の悲劇」となる)。でもそれはどうやって個々に分配するのか──。

まさか、頭数で均等にというわけにいくまい。皆それぞれで抱える事情が違うのだ。あくまでも民主的に運営すると言うが、適切な分配の仕方などどうやって決めるのだろう。結局、旧ソ連のように強権的指導者が決めることになるのではなかろうか。

それと、この本の議論に決定的に欠けているのは、欲望を性とする人間の本質とどう向き合うのかということである。大多数の人は平等であることを望む以上に、他人と同じでは嫌だと思っているのだ。

他人にはないアイデアを持っている者はそれを活かして、収益を得て他人より良い暮らしをしたいと思っている。また、アイデアはないがカネを持っている者はアイデアを持つ者を金銭的に支援して、そのアイデアを実現させ、収益が出た暁には見返りを求めたいと思っている。さらにはアイデアもカネもないが、とにかく働くこと(で社会に貢献すること)が好きで、それに応じた賃金を得たいという人だってたくさんいるのだ。

つまり、資本主義は曲がりなりにも、頑張れば頑張らない人よりも多くの欲望が満たされる仕組みになっている。それを平等という美名のもとで、誰か他人によって決められた(たとえ民主的な決定だろうと)配分とされることなど望んでいないのである。

くわえて、そうした人間の欲望を糧とする資本主義がこれまで多くの社会課題を解決してきていることも忘れてはならない。その恩恵を享受しておきながらマイナス面だけをあげつらうのはフェアではないと思う。

とはいえ、高度に複雑化した資本主義の行き着く先は、著者の言うように地球の破滅かもしれない。それも何となく皆わかっている。それでも欲望に抗えない我々は麻薬中毒者と同じなのだ。あるいは飛んで火に入る夏の虫──、それが宿命だと受け入れるしかない。

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