新書「シン・日本の経営 悲観バイアスを排す」(ウリケ・シェーデ)

【やり返さない大谷翔平でありたい】
なんだかんだ言っても私も日本人なんだなあ、日本という国を無意識のうちに愛しているのだなあと思うのは、スマホのネットニュースをスクロールしていて訪日外国人の「日本のここが凄い」「ここが好き」的な記事や動画を見つけると、必ず見てしまう自分がいるからだ。
こんなの、閲覧数や「いいね」を獲得するための“おべんちゃら”に過ぎないと分かっているのだが、ついつい見てしまう。日本のことを良く言われて、やはり悪い気はしないのである。
「治安が良い」「公衆トイレが綺麗だ」「接客態度が素晴らしい」「日本食サイコー」「電車やバスが時刻表通り」等々に対して、「だろ? まあよ」などとつい自分が日本代表のようなつもりでほくそ笑む。
過日はメジャーリーガーの大谷翔平が試合で死球を受けた際の態度が絶賛されていた。死球の報復合戦となる中で、大谷もその洗礼を受けるが、彼は何事もなかったかのように一塁へ歩き、いきり立つ自軍のベンチを諫めたというのである。
あれなどは、同じ日本人として本当に誇らしい気分になる(やられたらやり返すのを良しとするアメリカ本土でどれほど評価されているのかは実際のところ分からないけれど)。
本書もその意味で少し褒め過ぎではないかと読んでいて思ったが、一方でひょっとしたら私たちは自分の国を卑下し過ぎているのかもしれないとも思った。特にビジネスの分野ではそうした悲観バイアスが顕著である。
しかしドイツ人でカリフォルニア大学サンディエゴ校教授の著者は、かつてに比べ日本の産業構造は利益率の高い川上・川下の両極にシフトし、国内生産のみを対象とするGDPや貿易統計には反映されにくいものの、今やあらゆるものに日本製の材料や部品が埋め込まれ、バリューチェーンの中で確実に価格決定力をつけていると言う。
「失われた30年」と呼ばれる90年代以降の低成長時代すらも、社会の安定を優先しつつ川上・川下分野への転換を図るうえで日本企業の賢いやり方だったと指摘する。この国はあえてスローペースを選択したのだと言うのである。より早く、より強くを選択した欧米が社会不安を引き起こしているのとは対照的であると。
さらには、そうした日本企業の対応が、経済成長と社会・環境の安定、技術進歩と人類の幸福を両立させる新しいバランスを見つけることに貢献していると主張する。
前述のように少し持ち上げ過ぎのような気もするが、大谷翔平の態度や日本企業の対応──ひいては日本人の気質は、マルクス・ガブリエルの唱える倫理資本主義とも相通じる。新たな戦前に入ったと言われ混迷する現下の世界情勢にあって、そこに一筋の光を見出そうとするのは私だけだろうか。