News 2025.09.07
9/6の「読書BAR夜じゃじゃMagicNight」
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小説『赤と青とエスキース』(青山美智子)

小説『赤と青とエスキース』(青山美智子)

【小説はスッキリしたい派? それともモヤモヤしたい派?】

最後にピースの一つが嵌まって、ジグソーパズルのようにとっ散らかっていた話の全体像が初めて明らかになる。いや、ジグソーパズルのようにと言うのは違うかもしれない。ジグソーのように徐々に絵が見えてくるのではなく最後の瞬間に、それまでのすべてがパッと繋がる。そんな話である。

ある意味、推理小説的と言えなくもない。すべての伏線は最後、見事なまでに回収されて綺麗に収まる。そこには何の疑問も挟む余地はない。

そうしたことから、本作の評価は大きく二つの派に別れそうだ。一方は、そのスッキリ収まった話を心地よいものとして捉える派であり、もう一方は小説というのは回収しない伏線を残して、その解釈を読者に委ねるべきだとする派であろう。本作を課題図書とした過日の当館読書会ではまさにその2つに分かれた。

閑話休題、おそらく作者がこの一連の話で表現したかったテーマの一つは「時の流れ」なのだと思う。それは登場人物の一人が言う次の言葉に表れている。

「時期がくればいろんなことが変わっていくわ。いつまでも同じ状況など何ひとつないのよ。あなたも私も世の中も」

私はこの言葉にハッとさせられた。諸行は無常なのである。分かってはいるが、我々はこの真理をつい忘れがちだ。昨日と同じ今日が来たのだから、今日と同じ明日が続くように思ってしまう。

しかし、そんなことはあり得ない。目に見えない何かの作用が少しずつ働いて、気づいてみたら、以前とは大きく違うところに来ていたということもあるだろうし、溜まったひずみがある日突然解放されるように激変を余儀なくされることだってあるだろう。この二人の30年間がまさにそうだったではないか(詳しくは書けない。推理小説のトリックをばらすようなものだから)。

ともあれ、形のある物はいずれ壊れ、出会った人は必ず去っていく。好むと好まざるによらず、必ず、である。私のこれまでの人生を顧みてもそうだったし、これからもきっとそうに違いない。安泰に過ごせている今の暮らしも長くは続かないのだ。

ところで、過日の読書会では次回の課題図書に村上春樹作品を推した人がいつになく多かった。それは偶然ではあるまい。村上作品の多くは本作とも通じる喪失と再生がテーマだが、本作とは対照的に作中の伏線を回収しないから──。

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