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小説『妊娠カレンダー』(小川洋子)

小説『妊娠カレンダー』(小川洋子)

【破壊された染色体】

妊娠・出産というと、愛と希望に満ちた話を期待しがちである。たとえば、以前紹介したテレビドラマ『コウノドリ』はその期待に応える典型と言えるだろう。

あのドラマは「すべての出産は奇跡だ!」がテーマだったが、そこに至るまでの道程は決して平坦ではなく、だからこそ人は無条件に出産の喜びを分かち合えるということを描いていた。

だが、この物語にはそうしたもの──愛や希望や喜び──は一切ない。ネタバレになってしまうが、最後までない。

ただ淡々と同居する姉の出産までの日常を、妹の「わたし」の視点で観察日誌のように(ときに無機質に)綴っている。

そうした中で長く辛いつわりの時期を経て、姉の猛烈な食欲を満たすためにグレープフルーツの手作りジャムを食べさせるくだりは特に印象的である。

「わたし」は、そのグレープフルーツに、染色体に悪影響を及ぼすリスクのある化学薬品が含まれているのを知っているのだ。知っていながら食べさせる「わたし」には、悪意のようなものも感じられて、ちょっとしたホラーの趣きもある。だが、市販されているグレープフルーツにさほどのリスクがあるはずもなく、それだけ姉の出産を自分事として捉えていない、いや捉えられないという程度のことなのだろう。

これは私も何となくわかるのである。

妻が突然、子供が欲しいと言い出したのは結婚して2年目だっただろうか。まだまだ二人の気ままな暮らしを楽しみたかった私は些か面食らい、そして戸惑った。

「三〇までに一人目を産まないと良くないらしいの」

と言うのである。今では考えられないが、当時はそんなことが実しやかに言われていたのだった。

そんな妻の希望(というか要望というか…)に押されて、子作りに専念した結果、ほどなく彼女は妊娠した。日に日に大きくなる妻のお腹を尻目に、私にはまったく実感がわかなかった。

この物語の妊婦・姉は、妊娠・出産を妹同様にどこか他人事のように捉えているフシがあるが、その点私の妻は違った。ある日、仕事を終えて帰宅すると、私が好きだった彼女のロングヘアはばっさりと切られ、無くなっていた。

その分、すっかり母の顔──優しい顔立ち──になっていたのである。それは喜ばしいことではあったが、一方で何だか私だけが置いてけぼりにされたような気もしたのだった。

物語は最後、「わたしは、破壊された赤ん坊に会うために、新生児室に向かって歩き出した」で終わる。もちろん、これは胎児の健康に何らかの影響があったということではあるまい。彼女自身の現実感の欠如が、喜ぶべき赤子の誕生にケチを付けた、すなわち破壊されたように見えるということだろう。これもまたよくわかる。

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