News 2025.10.10
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小説『パークライフ』(吉田修一)

小説『パークライフ』(吉田修一)

【公園が象徴する都会の曖昧さ】

東京の街というのは、昭和の歌謡曲にあったように「東京砂漠」と唄われたり、「コンクリートジャングル」などと言い表されたりすることが多い。だがその実、大きな公園等がいくつもあって意外と緑が豊かな街だ、というのがかつて40数年暮らした私の素直な感想である。

ど真ん中にある皇居の広大な緑は一部を除いて遠くから拝むしかないが、上野公園や日比谷公園(本作の主な舞台だ)、浜離宮恩賜庭園に芝公園、明治神宮内苑・外苑や代々木公園、新宿御苑に新宿中央公園、少し都心から外れるが本作にも出てくる駒沢公園に砧公園等々とまあ上げ出したらきりがない。こうした大きな緑地空間は都市の喧騒と隣り合わせで存在する。私も平日は仕事の外出先で時間を調整したり、休日も……まあ、いろんな場面で利用した。

さて、本作は取り立てて言うほどのこともない日常の連続である。何の事件も起きない。そもそも主要な登場人物二人の名前すらわからない(本人同士もおそらく知らない)。二人のうち一人は語り手の男であり、もう一人は男が地下鉄の車内で間違えて声をかけた見知らぬ女である。その二人が、職場付近の日比谷公園で偶然再び出会い、そこで毎日のように昼休みを共にするようになる。だが、男女の関係になるような気配はない(少なくともそういう素振りはない)。

東京の大規模な公園というのは、ある意味東京という街を象徴している。多くの人が気持ちの良い場所、居心地の良いところとして集まってくるが、それぞれは無関係であり、互いに無関心である。皆がてんでんばらばらに動いていて、そこで深い関係性を構築しようなどとは思っていない。皆が薄い殻に閉じこもり、そこにいる他人など見えていないかのようだ。

本作からは、そんな都会の人間関係の希薄さというよりは曖昧さ、あるいは危うさみたいなものが、公園という場所を通して何となく伝わってくる。あくまでも何となく、だ。

女はラストで、「よし、決めた!」と言って立ち去る。語り手の男から「あの、明日も来てくださいね」と声を掛けられたが、果たして明日もまた公園にやってくるのだろうか?

来るかもしれないし、来ないかもしれない。都会の公園での出来事である。どちらであってもおかしくない。だが私には彼女は郷里に帰ることに決めたと言ったように思えた。

あの日の私がそう決めたように。

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