小説「豊臣秀長 ある補佐役の生涯」(堺屋太一)
【ナンバーツーとしての矜持】
私は組織の中では非常に扱いづらい人間だったと思う。在籍部門のトップとして遇されるのは望まないが、かと言って隅に置かれるのはもっと気に入らないというタイプだったのだ。
したがって必然的に「副○○」というポジションになる。いわゆるナンバーツーだ。しかもトップを無力化して、当該組織を実質的に統率するという立ち位置が私の好みだった。実際、50代の私はそのようにして過ごした。トップである上司からしたらさぞ嫌な奴だったに違いない。
同じナンバーツーでも、この豊臣(羽柴)秀長は私のそれとはだいぶ違う。彼は本来あるべきナンバーツーとしての姿、すなわちトップの補佐役であることを徹底した。本作は、兄である秀吉がトップ・オブ・トップに上り詰めるまでに秀長が果たした役割を描いている。
その頃は未だ織田信長支配下の方面軍司令官だった兄・秀吉をいかに盛り立てるか、彼の思考は常にそれを最優先に置いた。そのために、ときに憎まれ役も厭わず、面倒なわりに目立たない調整役に徹した。私と大違いである(私はそれらの面倒をすべて上司に押し付け、自身と配下の組織が成果を上げることに邁進したのだった)。
なぜ、秀長は己を捨ててそんなことが出来たのだろうか。いくら農民上がりとはいえ、武将である。武勲や戦果が欲しくなかったはずはあるまい。
まっとうな見方をすれば、やはり兄・秀吉との信頼関係が大きかったと見ることが出来る。寝返りや主君替えの多かった戦国時代においては、血縁こそが唯一の信頼の証だったに違いない。ゆえに武勲などが乏しくても補佐役に徹していれば兄が悪いようにはしないと考えても不思議はない。
もうひとつ考えられるのは、やや穿った見方だが、織田信長というトップ・オブ・トップの目から逃れるためだった、という見方だ。周知のとおり、信長は感情の起伏が激しい性質で、気に入れば戦果に応じた褒賞も大いに与えるが、ひとたびスイッチが入ると無慈悲な粛清も断行した人物である。
元来、農民思考の秀長は、兄・秀吉の陰で目立たぬようにして、自身の安全を担保していたのではないか。そして、それが信長の死後も戦国時代を生きる処世術として堅固になっていったのではないかというのが私の見立てだ。
だとすると、私のナンバーツー志向と半ば通じるところがあるような気がする。私もトップ・オブ・トップには極力関わらないようにしていた。私の場合は安全を担保するというよりは、直接関わると色々指図され、自分のやりたいことが出来なくなるからだった。
もっとも秀長も、私が在籍していたようなちっぽけな組織と同列に語られたら、草葉の陰で苦笑せざるを得ないだろう……。