小説「豊臣家の人々」(司馬遼太郎)
【豊臣家としての徳川家康】
ネットニュースやSNSのタイムラインを見ていると、コメンテイターというべきか、ご意見番というのか知らないが、よく見かける人たち(例えば、ホリエモンだったり、ひろゆきだったり…)が好き勝手に色んなことを言っているのを目にする。中には同調できるコメントもあるが、ほとんどは眉を顰める類のものだったり、取るに足らないものだったりする。
そうした中で、成田悠輔氏のそれは賛同できるものが多いと感じる。現代の選挙制度と民主主義の関係についてのコメントは我が意を得たりと膝を打ったし、ひと頃やり玉に挙げられた「高齢者は集団自決すべき」ですら、ある意味正鵠を射ていると高齢者の一人として思う。
とりわけ私が彼に賛同できるのは、「世の中で成功していると言われている人たちは、たまたま運が良かったに過ぎない」との指摘である。それは本書を読んでいて、豊臣家に関わる徳川家康にそのまま当てはまると感じた。
本書には当然のことながら、数多の豊臣家の人々が登場する。しかし、それでも印象に残ったのは徳川家康だった。もちろんそれは、その後の歴史──彼が武士として最も成功した──を知っているということがある。
だが、それだけでない。家康は「鳴くまで待とうホトトギス」に象徴されるように待機型の典型とされる。がしかし、本当は結果的にそうなったに過ぎないのではないか…、と思ったのである。
彼は関ヶ原の合戦時において既に60近い。その当時であればいつ死んでもおかしくない老齢のはずだ。鳴くまで待っている余裕などなかったに違いない。
私が思うに、その時まで彼は外様ながら豊臣政権のナンバーツー(筆頭大老)で満足していたのではあるまいか。トップでないとはいえ、そのトップである秀吉は彼に相応の敬意を払い(表向きだけにしろ)、かなりのフリーハンドを与えていたように、本書を読む限り思える。
しかも秀吉とは6歳しか違わない。当時の60歳は現代で言えば80歳くらいだろうか。80歳と86歳のどちらが先に死んでも不思議ではない。それがたまたま秀吉が先に死んで、運が巡ってきた──ただそれだけだったのだと思った次第である。