小説「破壊」(島崎藤村)
【因習は破壊されるべきだが……】
人間というのは、自分が無条件で蔑むことのできる対象をもっていたい生き物のようだ。私も約40年にわたり、そのように扱われてきたから(主人公・丑松のそれとは異なるが)、丑松の気持ちも少しは分かるつもりである。
私が新卒で入った会社は、某私鉄系の設計事務所だった。もちろん、受注産業である以上、発注者側に優越的な地位があることは仕方ないと思う。私の会社では、親会社を頂点とした某私鉄グループからの受注額と、それ以外の顧客からのそれは押しなべて半々だったが、どちらの発注者も皆一様に高圧的ではあったのだ。
だが前者の態度は、後者のそれとは明らかに違っていた。彼らは(むろん担当者によって多少の差異はあるものの)、我々子会社の社員をハナから賤民視していたのである。
「お前たちは無能で役立たずだ」
「そんなお前たちを俺たちが食わしてやっているんだ」
彼らは皆、そう言わんばかりに接するのであった。いや、これに近いことは実際に何回も言われた。
もちろん、発注者に高圧的な態度で接せられるときは、我ながらパフォーマンスの悪い仕事を提供しているなと自覚しているときもあるし、自分の会社にはあまり出来の良くない社員がいることも知っている。だから、そう接せられても仕方ないと思うことはある。
だがしかし、親会社の彼らは仕事のパフォーマンスなど関係ない。仕事が始まる前からそのような態度をとるのだから。そしてそれは大して仕事が分かっているとは思えない新米課長が顕著だった。
要するに彼らは、冒頭に書いたように無条件で蔑視することのできる対象があって欲しいのである。そうすることで日々の憂さを晴らしたり、新米課長であれば自分の肩書に満足したりしたいのだ。
だが、そうした面は私自身にもあることは白状せねばなるまい。私も出入り業者には多かれ少なかれ、そういう態度を取っていたのだ、きっと。主人公・丑松の受けたような悲哀は、人間が人間である以上なくなることはないと思う。