News 2025.05.15
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小説「月まで三キロ」(伊予原新)

小説「月まで三キロ」(伊予原新)

【人生最大にして最後の煩い】

ある意味、私も浜松に死に場所を求めてやってきたのである。こんなことを言うと、‘じゃじゃ’の館主はとうとう老人性鬱にでもなったかと思うかもしれないが、この主人公と違い都会で夢破れたわけではないし、今直ぐにどうこう言うような切羽詰まった問題を抱えているわけでもない。

だから多少の猶予はある。だが、いずれ問題は顕在化して主人公同様、死に直面することになる。今はまだその問題が何かも分からない。健康問題かもしれないし、金銭問題かもしれない。おそらくは前者だろうが、後者の可能性だってないわけではない。あるいは全然予想もつかない問題かもしれない。

また、その猶予期間は意外と長いのかもしれないし、思いのほか短いのかもしれない。いたって健康のつもりだから、この先30年生きてしまうかもしれないが、健康診断など何年も受けていないから明日、ステージ4の癌が見つかり余命半年だと言われたって不思議ではない。

いずれにせよ、そのときが来たら一人で死にたいと思い、家族の居る東京を離れたのである。フツーは多くの親類縁者に囲まれて息を引き取るというのが幸せなのだろうが、私は老いた象が群れからそっと離れるように死にたいのである。

あるいは、私が探し求めているのは死に場所ではなく、死に時なのかもしれない。もう十分──と言ったら嘘になるのだろうが、もう粗方は生きた、という実感がある。人生に悔いなし、と胸を張って言えるほどではないけれど、自分の実力からすれば上出来な人生のようにも思える。あとは文字通りの余生、すなわち余った人生、要はオマケである。オマケを冗長に生きて晩節を汚す必要はあるまい。

子どもたちの行く末は気がかりだが、どのみち彼らの人生を最後まで見守ることはできない。今の私が彼らにしてやれることは少しでも多くの資産を遺すことだが、私の持つ僅かばかりのそれは私が生きれば生きるほど目減りしてしまうのだ。

もちろん、「子に美田を残さず」と言うように、それが良いこととは限らない。しかしこの国の持続可能性のない年金制度のことを思えば、必ずしも間違いではないだろう。妻の死後、彼らの子ども時代に十分なことをしてやれなかった父親の罪滅ぼしである。

さて、この主人公は私と違ってまだ若い。生きていれば彼の父親が彼自身のことをどう思っていたのかを知る機会もあるだろう。

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