小説「推し、燃ゆ」(宇佐美りん)

【お前の場合は只のファン】
私にも「推し」がいる。マイナーなジャンルに出演するマイナーな女優である。そんなマイナー^2のような存在の彼女を最初に知ったのは、あるときたまたま見た週刊ポスト(私は滅多に週刊誌など手に取らないのだが…)のグラビアページでだった。そのページは、某有名カメラマンが謎の(さほどメジャーではない?)女性を撮り下ろす「なをん。」という人気シリーズなのだとか。
一目見て、びびっときた。以来、彼女に関連しているものは買えるものであればほとんど買っている。やはりマイナーだというのは大きなポイントかもしれない。この小説で主人公の友達が地下アイドルに対して言ったように、マイナーであることは距離感の近さにつながる。
ところで、過日の新聞に「推し活」関連の市場は年間1兆円規模にもなるというコラムがあった。パンや装飾品に匹敵するのだそうだ。現下の諸物価の値上がりをものともせず、「推ししか勝たん」と右肩上がりのトレンドらしい。
私も微力ながらくだんの女優を推すことで推し活経済に貢献している、と言いたいところだが、私がやっていることぐらいでは推し活とは言えないようだ。
というのは、前述のコラムによれば、30代以下で推し活をしている人の平均支出額は年間30万円にも上るのだそうだ。40~60代でも年間7万円。私の場合は推しの彼女に支出すると言っても、せいぜい年に1~2万円使うかどうかである。
そもそも私は、この小説の主人公のように推しがいるから毎日生きていられるなどと思ったことがないし、たとえ彼女がいなくなったとしても、「生きる背骨をなくして四つん這いになったまま立つこともできない」ということにはなりそうもない。
してみると、推し活とは生きづらさの裏返しなのだろうか。推しがまるで殉教の対象のようにも思えてくる。おそらく熱心に推し活をしている人に言わせれば、「お前は只のファンであって、推し活ではない」ということになるのだろう。さもありなん。