小説「娼年」(石田衣良)

【売春について考える(その2)】(その1はこちら)
女性用風俗──略して「女風」。だいぶ以前、何かの洋画(たしかアメリカの映画)を観ていて、主人公のキャリアウーマンが当たり前のように娼夫を買うシーンに「日本では考えられないな」と思ったものだが、今や我が国においても一般の女性が女風を利用するのは珍しくないのだそうだ。
もちろん昔から、ホストクラブに通い詰め、お気に入りのホストに入れ込んだあげく性交渉に及ぶという女性はいたと思う。しかし女風の場合は、そのような面倒なプロセスは踏まず、最初からそれ目的で、それに対して対価を支払う。したがってコスパもタイパも良い。
実際、ネットで検索すれば簡単に近場の店がヒットするし、note(文章を主とした創作配信サイト)を開けば、一般女性が書いている「女風体験記」の類を探すのも苦労しない。まあ考えてみると、これだけ自立した女性が増え、もとより女性にも性欲がある以上、当然なのかもしれない。
本作に登場する主要人物の一人、御堂静香──彼女は女性に若い娼夫を斡旋するクラブを経営している──は言う。
「これから男を買う女性はますます増えていくでしょう」
この小説が20年前に書かれたことを踏まえると、作者に先見の明があったと言えるだろう。
さて、そうしたニーズに応える──つまり売春をする──側について考えると、男と女では同じように身体を売るのが仕事であっても、それに従事する理由が違うように思う。
女性の場合は、借金の返済など経済的な困窮からやむを得ず……という人が現代でも圧倒的に多いと聞くが、男の場合は経済的な理由でそれを生業とするケースは少ないのではないか。楽して稼ぐのが目的であったり、趣味と実益を兼ねて…が理由だったりするような気がする。いや、気がしていた。これを読むまでは。
この主人公リョウにしても経済的に困っているわけではなく、女性(の不思議な欲望)を探究することに面白みを見出しているのだから、趣味的と言えなくもない。だが、少なくとも楽して稼いでいるのではなさそうだ。
下は20代から上は70代まで、どんな女性に対しても選り好みをせず男を機能させ、それぞれの欲望を満たしてあげるのは決して楽な仕事ではないだろう。私には到底できそうにない。
ちなみに売春、すなわち春を売るというときの「春」とは、情愛の比喩なのだそうだ。情愛か…、尚更できそうにない。