小説「地獄変」(芥川龍之介)

【美しいものを冒涜する異常】
あれはたしか小学六年生から中学一年生くらいの頃だったと思いますが、私にはTという友達がいました。Tはとても端正な顔立ちをしていて頭も良く、しかも運動神経抜群だったので女の子にはもちろん、我々男子にも大変人気がありました。さしずめTは「王子」と言える存在だったのです。
あるときTの家──ピアノがあるような家でした──に遊びに行って、彼と二人でアイドル系の雑誌を眺めていました。私は当時、天地真理という歌手が好きで、彼女のグラビア頁を食い入るように見ていると、何を思ったのか突然Tは
「こうすると、どう?」
と言いながら、その天地真理の顔の部分に縦三本の折り目を付けて──真ん中を谷折り、両側を山折りにして──ひしゃげさせ、見事なヘン顔にしてしまいました(よくお札の肖像画をヘンな顔にするアレの要領です)。そのときまで人様の顔写真に細工する人間など見たことがなかった私はあっけにとられました。するとTは隣でゲラゲラ笑っているのです。
今から思うと、Tのちょっとした悪戯だったのかもしれませんが、そのときの私にはTが美しいものを汚して楽しんでいるように見えて、子供心にもちょっと怖くなりました。
そんな遠い少年の日を思い出したのは、久しぶりにこの「地獄変」を読み返してみて、これに登場する大殿様の振舞いにあの日のTを見たからです。
本作はとかく絵師・良秀の異常さ──芸術のためなら自分の娘すら犠牲にする──に論点が向かいがちですが、異常と言うならそのように仕向けた大殿様こそが異常の極致ではないかと私は思います。なぜなら、悶え死ぬ良秀の娘と、それを前にして悄然と立ち尽くす良秀を見て、大殿様はほくそ笑むのですから。
たしかに、大殿様から仰せつかった地獄の屏風絵で描けぬところがあるからと、
「車を一輌、私の見ている前で火にかけて頂きとうございまする。そうしてもしできまするならば──」と大殿様に頼んだのは良秀です。
話の流れから当然、できまするならば──の後に続くのは、車の中で焼かれ苦しむ女官を用立てて欲しいという申し出でしょう。そんなことを頼む良秀も間違いなく異常ですが、その申し出に応えるだけでなく、車に乗せる女官を自分に仕える良秀の娘とした大殿様の異常さはレベルが違います。
しかもそれは、自分が彼女に夜這いをかけて失敗したのを恨んでの所業であるばかりか、良秀が娘を溺愛しているのを知っていてのことなのです。
おそらく王子様のTも、私の好きなアイドルを冒涜することで、悲痛な面持ちになる私を見て楽しんでいたのだと思います。程なくしてTとは付き合わなくなりました。