小説「光秀の定理」(垣根涼介)

【裏切ったこと、私もあります】
明智光秀については、最近まで誤解していたように思う。どこかひ弱なエリートというイメージがあったのだ。
昔見たNHK大河ドラマ「秀吉」(1996年)での印象が強かったのかもしれない。あのドラマは、先年故人となった渡哲也の演じた織田信長が激烈過ぎて……、その渡・信長に足蹴にされた光秀が脳裏に焼き付いている(光秀を誰が演じていたのかは忘れた)。
明智光秀と言えば、言わずと知れた本能寺の変だが、信長に反旗を翻し自死に至らしめるも、続く山崎の戦で羽柴秀吉に敗れ、三日天下と揶揄される。そんな史実も彼にひ弱なイメージを植え付けているのかもしれない。
しかし、本作も含め最近いくつかの歴史小説を読んで知ったのは、彼は多少ナイーブな面はあったにせよ、戦はもちろん多方面に秀でた大変有能な武将だったということである。加えて出自と言うか、家柄も良いからもともとエリートと言えなくもないが、一族郎党が訳あって離散した経験を持つ苦労人でもある。
考えてみれば、優秀でなければ合理主義の権化・織田信長が古参の家臣を脇に置いて光秀を重用するわけがないのである。光秀自身も新参の自分を織田軍の中で最大勢力になるほど出世させてくれた信長には──ときに殴られたり蹴られたりしながらも──感謝していたはずだ。
では、なぜ彼は本能寺で謀反を起こしたのか。本作も最終的にはそこに行き着く。本作の見方とは少し異なるが、私には何となく分かる。私もかつて散々世話になった上司──彼も信長同様に飛ぶ鳥を落とす勢いだった──を裏切って、袂を分かった経験があるからだ。
光秀が本意を曲げて信長に従い比叡山を焼き討ちにしたように、私もその上司に評価されたいがために随分と意に沿わない仕事を率先してこなした。その結果、私も大いに重用され、社内外で彼の右腕などと評された。
あげく、光秀が本能寺でそうしたように、私も最も効果的なタイミングで謀反を起こした。
何故か──。実は確たることは今でも分からない。分からないが、何となく思うのは、結局得心していなかったのである。あの人の仕事に対する考え方に、あるいはその進め方に納得していなかったのだ。一言で言えば性分が違ったのである。
光秀も要するに、そういうことだったのではないか。本作にあるような理由はたしかにあったのかもしれない。だが、それもこれも結局性分が合わないということに帰着するのではないかと思う。性分が合わないことは続けられないのである。