小説「ルビンの壺が割れた」(宿野かほる)
【「図」と「地」は入れ替わる】
愚鈍な私は、読み終えてしばらくの間モヤモヤしていた。ネット上の解説などを読んで「なるほど、そういうことか」と腑に落ちた次第だ。
ところが、時間が経つと果たしてそういう解釈でホントに良いのだろうかと思えてきた。「ルビンの壺」という以上、見方を変えれば違う風景が見えないのか、という疑問である。そしてその「壺が割れた」となれば……。
とはいえ、それについてはこれ以上触れないようにしよう。ネタバレさせずに書くのは難しそうだ。
そんなわけで話を変える。
本作を読みながら、若い頃の自分を思い出していた。あまり気持ちの良い思い出ではない。どちらかと言えば、思い出したくなかったことである。
私が学生時代に可愛がっていた後輩にHという男がいた。Hはもっさりとした見かけで、いかにもうだつの上がらなそうな男だった。だが純真で素朴な、そしてとても優しい男だった。大学卒業後、何年かしたある日、その彼から連絡があった。話があるので会いたいと言う。
久しぶりに会うと、彼は開口一番、
「このたび結婚することになりまして、先輩にも是非結婚式に来てほしいっス」
と嬉しそうに言った。
「へえ~、そりゃよかったな。相手はどんなコだ?」
「会社の同僚なんスよ」と彼は定期入れに入っていたそのコの写真を自慢げに見せてくれた。とんでもない美人だった。
「彼女はとても気立ても良くて……、そんなコが自分と結婚してくれると言うんです」と、Hはこの世の春を謳歌しているかのようだった。私は、と言えば当時すでに結婚していたにもかかわらず、何だか悔しかった。
その後、正式な招待状も届いて、あとは結婚式当日を待つばかりとなった。がしかし、Hが華燭の典を挙げることはなかった。式の直前になってお相手のコがドタキャンを申し出たからだった。
後日、彼を慰めるために会った。
「まあ、仕方ないさ。相手が悪かったと思って忘れるしかないな」
などと声をかけたものの、そのじつ私は「どう見ても不釣り合いだったからなあ」と思ってしまっていた。いや、それだけじゃなく……。
どうやらHは私のそうした心を見透かしたようだった。彼はあれ以来私と会おうとしなくなった。
本作にもあるが、人は皆それぞれダークな心を抱えている。そしてそれをひた隠しにして生きている。だが「ルビンの壺」よろしく、ふとした拍子に「図」と「地」は入れ替わり、表出してしまうことがある。
思い出したくなかった記憶である。