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小説「ハナレイ・ベイ」~『東京奇譚集』より~(村上春樹)

小説「ハナレイ・ベイ」~『東京奇譚集』より~(村上春樹)

【片脚サーファーの亡霊】

私が死というものを初めて身近に感じたのは、大学4年生の秋だった。当時、同じ学科で一番仲の良かった同級生が突然死んだのである。卒業研究の最中、彼は徹夜明けにランニングをして心不全を起こしたのだった。

もちろん、それまでにも祖父や祖母の死に立ち会ったりした経験はあった。しかし、それらは子供心にも年寄りだから、とごく自然に受け止められた。

その友のときは流石に違った。人ってこんなにもあっけなく死ぬのか──。ほんの数時間前、朝の研究室で彼をマージャンに誘ったばかりだったのに。

「わりい、俺ちょっと走りたいから……」

それが彼の最後の言葉になった。

それを機に私の周りで死ぬ人が増えた。次に死んだのは、大学の体育会で私をとても可愛がってくれた先輩だった。社会人になってからも、多いときは週一の割合で飲みに連れていってくれた。その先輩から暫く連絡がないなあと思っていたら、次に届いたのは訃報だった。自殺だったと聞く。私には思い当たるところがあるが、ここでは長くなるので書かない。

ほかにも私の周りで人がぽつぽつと死んでいった。極めつけは妻である。彼女の死については、これまでに度々書いているので、やはりここでは書かない。ただ、妻が死んで暫くして落ち着くと「どうしてこうも俺の周りで親しい人間が死ぬのだろう」という疑問が沸いてきた。

この物語の主人公サチは10年以上ハナレイ・ベイを毎年訪れて、息子がサメに殺されたカウアイの海を眺めたという。彼女はいったいそこで何を考えていたのだろうか。

息子のことは嫌いだったという。激しい親子喧嘩もあったかもしれない。そうした息子との思い出を一つひとつ辿ったに違いない。あるいは息子のことだけではなく、ずっと前に若くして死んだ夫のことを思い出したかもしれない。

そして私と同じように、

「どうして私の周りでは……」と途方に暮れただろうか──。

彼女は結局、死んだ息子と思われる片脚の日本人サーファー(の亡霊)を見つけることはできなかった。私にも友達や先輩、妻のそれを見ることはできない。

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