「小説帝銀事件」(松本清張)
【世論がつくる冤罪】
帝銀事件とは、戦後間もない1948年(昭和23年)に東京都豊島区長崎の帝国銀行椎名町支店で、行員等12名が毒殺され、現金と小切手が奪われた事件のことである。この事件では、画家・平沢貞通が逮捕されるが裁判中に自白を翻し、死刑判決を受けた後も無実を主張。刑の執行がされないまま、87年に獄死したとされる。95歳であったという。
本作は小説の体(てい)を取っているので、創作の部分も一部含むとは考えられるが、大概はノンフィクションのように思える。ここに書かれていることが事実だとすれば、平沢死刑囚の判決は決定的な証拠がない中で、すべてを印象論で決めつけているように感じる。
とても科学的とは思えない当時の筆跡鑑定(ご丁寧に性格診断までしている)を証拠とするのは言うに及ばずだが、当該事件で生き残った行員等の証言(面通しで平沢を犯人だとする)もとても曖昧だ。
犯人かどうかなど、見れば一目瞭然のはずなのに、「全体的によく似ていると思うが…」とか、「非常に似ているが…」とかで、「この人です!」ではないのだ。そっくりさんを探せではあるまいし。
実にずさんな捜査であり、ずさんな判決で、とんでもない冤罪のように思える。だが、気を付けなければならないのは、そうした捜査や判決を当時の世論が後押しした面が多分にあるということだ。
たしかに平沢は軽率な虚言癖があったり、怪しげな詐欺事件を起こしたりしていた。そうしたことから、マスコミが平沢犯人説を作り上げ、世論がそれに乗っかったのだ。もちろん、事件の真相は今となっては藪の中である。がしかし、冤罪は世論が作ることもあるのは現代にも通じるだろう。
たとえば、過日一審での無罪判決があった「紀州のドンファン事件」。我々がマスコミやネットニュースなどから得られる情報では元妻が限りなく黒に思えてしまう。だが、それが二審以降の判決に影響を与えてはなるまい。