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書籍「キライなことば勢揃い」(高島俊男)その2

書籍「キライなことば勢揃い」(高島俊男)その2

【「元気をもらう」はギリOK!】

先週に引き続き、嫌いな言葉について書きたいと思います。

先週、私は嫌いな言葉のひとつとして「勇気をもらう」を取り上げましたが、実は本書でも「元気をもらう」が上げられています。私も決して好きな言葉ではありませんがしかし、「元気を…」についてはギリギリ許容範囲なのです。なぜなら、例えば気持ちが沈んでいるときに、たまたま観たスポーツが好い試合だったりすると、夢中になって応援しているうちに凹んでいた自分を忘れて元気になっている、ということはあるからです。だったら、「勇気」だって同じじゃないか! と思うかもしれませんが、残念。勇気についてはもらった試しがないのです(勇気をもらうシチュエーションって、どんなときなんでしょ?)。

あと、先週私が指摘した「まちを元気にしたい」に関連して、本書では「まちづくり」という言葉も上げています。何もないところから、街を造るのであれば分かるが、既にある街に対して使うのは違和感があると言うのです。さもありなん。

「まちづくり」という言葉が盛んに使われ出したのは、私の記憶に間違いがなければ、1990年代だったはずです。あの頃、郊外住宅地の開発やリゾート開発が自然環境を破壊していると指弾され、「開発」はすべて罪悪だとされました。

そうした中、一部の学識経験者やデベロッパーが「都市開発」、あるいは「都市計画」という用語を「まちづくり」という言葉に置き換えた──その結果、新規の開発ばかりでなく、街なかの再開発にも使われるようになった──そんな印象があります。専門家が担うのではなく、一般の市民住民の意に委ねるという触れ込みだったように思います。

私は当時、これは一般人を巻き込み、開発の功罪を一蓮托生とするレトリックだと感じたものです。所詮まやかしのためのネーミングだから、この著者のように違和感を持つのは当たり前なのです。

だが、このネーミングは当たりました。著者のような人はむしろ稀で、「まちづくり」(という言葉)は多くの人に受け入れられました。その後に東京都心の再開発に関わったとき、商店街のオヤジさんが「私はまちづくりをやってます!」などと自慢げに言うのを聞いて、面食らったことがあります。

人の悪い私は、具体的にどういうことをしているのですか、と聞いてみました。するとオヤジさんは、鼻の穴を膨らませて言ったのです。

「どういうことをって……、いろんなことを話し合うのさ。終わった後に皆で飲みに行くのが楽しみでね。はっはっは

私はそれを聞いて、「はあ、まちづくりねえ……」とため息をついたのでした。

前回、「まちを元気にする」は抽象的で中身のない言葉なので嫌いだと言いましたが、そもそも「まちづくり」という言葉自体が私も大嫌いなのです(……と言いつつ、今日も使っているのですけどね)

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