映画「正欲」(主演 稲垣吾郎 新垣結衣)
【安心して! 皆ヘンタイだから】
これ、ホントにガッキーなの? そう思うほど顔の印象が、いつも見慣れた──そう、たとえば「逃げ恥」のときのような──新垣結衣と異なる。目が死んでいるのだ。
人間、目が死んでいると感情が読み取れない。いや、少なくとも喜怒哀楽のうち「喜」と「楽」の状態でないことはわかるから、自ずと「怒」や「哀」の負の感情でいるように見えてしまう。
それが映画の後半に一度だけ、磯村勇斗が扮する佐々木と公園でデートらしきことをしたとき、「逃げ恥」のときの彼女に戻る。やはり、彼女は笑顔が好い。
さて、タイトル「正欲」は正しい欲望という意味だと思うが、欲望に正しい、正しくないがあるのだろうか。もしあるとすれば、それはいったい誰が決めるのだろう。
もちろん、その欲望を満たすために現行の法律に外れた行為をすれば、それは正しくない欲望ということになるのだろう。だが本当にそうなのか? 違法なのは、あくまでもその行為であって、欲望そのものではないはずだ。
正欲は性欲に重ねているのだろうが、性癖に関して言えば人は皆それぞれで、自分以外の誰もがヘンタイに見える(劇中にもあったとおり)。
もちろん自分の性癖だって他人から見ればその例外ではないことは明らかだから、皆できるだけ他人には知られないようにしているだけだ。その辺りについて、タモリは
「俺はヘンタイだが、変質者でない!」
と言っている。つまり、法に触れるようなことはしていないが、ヘンタイ的な性癖はあると公言しているのだ。実に潔い。
突き詰めるとこれは、多様性とは何か、裏を返せば普通とは何かという映画である。性的嗜好に限らず、普通に生きているつもりであっても、実は誰もが普通ではないのだ。ラストでそのことを、稲垣吾郎が演じる検事は思い知らされる。
でもやっぱり、こんなガッキーは嫌だァ!(だから、多様性を尊重しろって…)
画像引用元 ファッションプレス